三男平成5年産まれ

離婚してからかれこれ4年にわたり私が
子供3人の世話をしています。
離婚した理由としては、前夫が
あちこちに愛人をつくり、ついでに子供も
あちこちで出産させたりと現実的に
我家に留まっている状況が少なかったためと
生活費を急激に削減され、別れ際のしまいには、
生活費は、滞ってしまいました。
そんな状況になった責任として私が子供達を
育てて行こうと決意を決め、
前夫と多少なりでは、あったけど
一緒に暮らしていた土地を離れ
今までとまったく違う地域・風習も違う生活環境で生活をすることになった訳です。
しかしながら
仕事をしながら母としての役割がなかなか果たせてません。
何不自由なく育てて見たいのだけど
仕事と育児の両立はかなり困難です。

それと、子供達の不登校もかなり不安です。

長男は、最近になり成長期反抗期
心に不安を抱えています。

それ以前からも不登校は、ありましたが
自分の気が向き次第で登校することは、出来ていました。

今では、睡眠時間もまちまちで一日中起きているときや
2時間程度しか眠れない状況に陥っています。
急激に食欲も落ちてしまいげっそりと痩せてしまいました。
まったくの不登校になってしまいました。

ここに移り住むようになっても友達も居なく、
インターネットのwebゲームで
人との交流するぐらいしか出来ません。
普段の生活は、TVゲームや漫画を読む程度です。
児童相談所とは、常日頃相談にのってもらっています。
2週間ぐらい前に始めてでしたが私をぼこぼこに殴りました。
かなり精神的に辛かったですが私の判断で
長男のげっそりした体の回復を望みながら
私は、血だらけでほこぼこの状態のままでしたが
かなり反抗した長男を心療内科へ連れて行くことができました。
心療内科で彼の病名が判明しました。
発達障害」と言う病名です。
それと「チック症」。

医者の指示では、
「彼は、今心に不安を抱えていますがその不安をどうして良いのかわからない状況です」
「でも、お母さんを殴ったことは、悪かったと自覚できています」
「殴った原因は、彼自体どうしてよいのかわからなくなり、どうしてお母さんを殴ったのかもわからない状況です」
「お母さんは、彼にご飯を食べさせる行為をすることと積極的に話をしては、いけない」
「彼が要求する食べ物ぐらいは、相談してもかまわない」
「彼のことでいろいろ心配だろうけどそーっと一人にさせとくこと」
「彼が寝たいと思うとき寝ればよいし、起きたい時に起きるような状況でいいです」
「兄弟や兄弟の友達や同学年の子と接触を避けるように」
「なるべく多くの大人と接触できる機会を設けてやること」
「例えば児童相談所の職員が家庭訪問するなど」
「お母さん一人では、彼を支えるのは、無理です。たくさんの人に協力してもらいましょう」

げっそり痩せ、心に不安がたまっている長男とは、
家の中ですれ違うことも多くありますが
医者の指示どおりの生活が始まり家族としての
まとまりがなくなってしまいました。

次男や三男は、以前長男にナイフで傷つけられたり
殴る・蹴るの暴行を受け不安が募るいっぽうでしたので
不登校になった時期もありました。
昨年の暮れあたりには、次男と三男を児童相談所
一時保護をしてもらい約2週間程度でしたが
被害を受けず不安な心も休まり帰ってこれたのですが
長男の暴力は、未だに続いています。

その影響か次男も三男に対し、普通の兄弟喧嘩じゃありえないぐらいの大喧嘩をするようになってきました。
つい先日、彼らの大喧嘩の仲裁に入り、
今度は、次男から攻撃を受け右手中指を負傷しました。
幸い骨折は、間逃れました。
次男も家のみんなが不安な状況に陥っている様子を
感じとっていて精神的に不安定です。

三男は、上の兄弟に集中的にやられてしまってる状況です。
心のおびえや不安もかなりひどくなってきた様子で持病の喘息も始まってしまいまいた。

次男と三男とも心に不安を抱えた状況なので
不登校になってしまいました。

私自身も遺伝的要素で心の病気を持っているので
みんなの不安な気持ちを常日頃感じとってしまい
各それぞれの心の不安を解消してあげることの
疲労感で心療内科へ昨年11月頃から週1回診察を
受けながら辛い時ように飲む薬を処方されて飲みながら生活しています。

児童相談所では、相談は、まめに対応してくれるのですが
なにか事が起きないと行動してくれません。
次男と三男が長男に暴行を受けていたころから
一時保護してもらうまで約3ヶ月もかかりました。

長男の不登校についてもかれこれ4年相談しています。

今のところ私一人では、子供達を思いやる気持ちを
果たせないのでいろいろ協力してもらえそうな人を
みつけるのに必至です。